理化学研究所のSTAP細胞の陰謀説と設立者との因果

日本で最初にノーベル賞を受賞したのはご存知「湯川秀樹」である。陽子や中性子を互いに結合させる強い相互作用の媒介となる「中間子」の存在を初めて実証しノーベル賞を受賞した。

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小難しい話なので、なんのことかよく分からないが、とにかくすげー人なのだ。しかし実は、この湯川秀樹よりももっと前に、本来なら「ノーベル賞」を受賞していたであろう人物がいることはご存知だろうか?

その人物というのが「鈴木梅太郎」である。この鈴木梅太郎という人は、世界で初めて「ビタミン」の存在を発見した人物で、当時の日本で大流行していた「脚気(かっけ)」の治療法を確立した人物でもあるのだ。

この脚気という病気は、別名「ビタミン欠乏症」と呼ばれており、ビタミン不足によって発症する病気である。当時の日本は戦争中で、まともに食事も取ることができず「脚気」が大流行していたのだ。

あまりにも被害が拡大するので、この脚気という病気は「伝染病」である可能性が高いとされていた。しかし、鈴木梅太郎はこの病気の原因を、栄養不足だと確信し、結果的にビタミンの存在に気付いたという。

今でこそ当たり前のように、ビタミンという言葉が使われているが、当時はその存在すら認知されておらず、この発見は科学者たちに衝撃を与えた。

そして、この発見が世界の危機を救ったのである。この世紀の大発見を世界に向けて論文で発表しようと、さっそくドイツの通訳を介して、ドイツ語に翻訳してもらうことにしたのだ。

しかし、そのドイツ語の翻訳があまりにもずさんで、世界の人に上手く伝わらず、結局ノーベル賞は受賞することなく終わった。(大事なところが抜けていたりと、かなり無茶苦茶な翻訳だったと言われている)

結局、この世紀の大発見は世界に知られることなく闇に葬られたのだ。実はこれには裏があるという。当時の医学というのは「イギリス式医学」と「ドイツ式医学」で2分されていた。

この2つの異なる医学は、激しく対立姿勢を取っていたのである。当時の主流は「ドイツ式医学」であった。今でもその名残が残っており「カルテ」や「アレルギー」などのドイツ語の医学用語が使われている。

すなわち、これまでの医学を牽引してきたのは「ドイツ式医学」なのである。ところが、そのドイツこそが「脚気は伝染病である」と主張していたのだ。

もし仮に、鈴木梅太郎の論文が世界に発信されると、ドイツ式医学の権威たちは、赤っ恥をかくことになるのだ。こういったお偉いさんの勝手な事情で、わざと翻訳を間違えたのではないか?と言われているのである。

その後、後追いでビタミンを研究した海外の科学者がノーベル賞を受賞してしまう。本来ならノーベル賞を取るはずだった鈴木梅太郎は、受賞はおろか評価すらされずにこの世を去った。

そして、2014年。ある世紀の大発見が、日本を騒がせた。そう「STAP細胞」である。このSTAP細胞を発見したのが「小保方春子」であり、その研究チームが「理化学研究所」すなわち理研だ。

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そして驚くべきことに、この理研の創設者こそが「鈴木梅太郎」なのだ。前述した通り、理研の創設者である鈴木梅太郎は論文トラブルに見舞われて、栄光を失った人である。

そして2014年、同じくして論文トラブルに見舞われているのが「STAP細胞」を発見したとされる「小保方春子」である。もしかしたら、STAP細胞の論文も、誰かしらの陰謀によって「操られて」いるのかもしれない・・・

信じるか信じないかはあなた次第。

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