豊臣秀吉から徳川家へ家紋に込められた強い怨念

由緒ある家柄の場合によく見かける家紋。その家紋に、ある怨念が込められているというのだ。現在の日本で、最も高貴とされている家紋が皇室のシンボルである菊の紋。

続いて、高貴な家紋が、桐の紋だと言われている。この家紋は元々、豊臣秀吉が使っていたとされる家紋だ。なぜこの家紋が非常に高貴なのかと言うと、歴史上で初めて、天皇家から頂いた紋だからである。

それだけ、由緒ある家紋が桐の紋なのだ。そして、この紋を公式に使っている人物が、現在の日本にいる。それが、内閣総理大臣。

しかし、この家紋は、身近な所にもある。それが500円硬貨の裏。なんと、500円硬貨の裏に、この桐の紋が入っているのだ。しかし、ここで不思議なことが。

桐の紋を政府が公式に使い始めたのは、明治以降だと言われているが、上述したように、元々は豊臣秀吉が使っていた家紋。そして、大政奉還で最後の将軍家となったのは、徳川である。

豊臣秀吉は、それよりも前である。なぜ、新政府は、そんな豊臣の家紋を使っているのか。これには、ある噂があるのだとか。明治維新後の政府を率いたのは主に、薩摩藩と長州藩である。

初期の頃の総理大臣も、この二つの藩の出身者が名を連ねている。その薩摩と長州にはそれぞれ活動拠点があり、それが鹿児島と山口。

そして、この鹿児島と山口には、過去、力を持っていた家があり、それが、島津家と毛利家である。が、この島津家と毛利家。関ヶ原の戦いでは、豊臣側として参戦し、徳川家に敗れている。

つまり、徳川家に強い恨みを持っていたのだ。そして、時は流れ、明治政府が樹立。その政府の主な母体となったのが、薩摩と長州。それぞれ、鹿児島と山口に拠点がある。

これらのことから、元々豊臣が掲げていた家紋を、あえて政府公式の紋として採用することで、徳川家への恨みを晴らそうとしたのではないか、というのだ。

信じるか信じないかは、あなた次第。

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