日本の歴史には、語り継がれる都市伝説が多く存在する。その内の一つが、徳川埋蔵金である。その徳川埋蔵金に関して、ある都市伝説が存在している。
それが、埋蔵金の在りかを知っていたとされる人物の存在。徳川と言えば、日本の天下を治めていたことで知られているが、その徳川家を影で支えていた存在がいた。
それが、スパイである。なんと徳川家。世界で初めて暗殺部隊を組織したと言われているのだ。そして、その組織の長とされる人物が、服部半蔵である。
この暗殺組織は、徳川家が天下統一の際、大きく貢献したと言われていて、その証拠に、半蔵門という名を地名として与えられたと言われている。
その服部半蔵。実は、その徳川家への貢献の見返りにあるお願いをしたとされている。それが、全国行脚。服部半蔵は、全国を旅したいと、徳川家にお願いをしたのだ。
そして、これまでの貢献をしてくれた褒美に、これを許可した徳川家。晴れて服部半蔵は、全国行脚に出るのだが、その時に使った偽名がある。
それが、松尾芭蕉。そう。日本で、俳諧師として知られる松尾芭蕉と服部半蔵は、同一人物だったという説があるのだ。その理由の一つとして挙げられているのが、全国行脚のスピード。
なんと松尾芭蕉は、1日に400kmの距離を歩いていたというのだ。松尾芭蕉の年齢などを考慮すると、とてもじゃないが、ほとんど不可能な早さだ。
そして、松尾芭蕉が、全国を回っていたのは、何も俳句を作るためだけではなかったと言われている。彼が全国を回っていたのには、別の理由があったのだ。
それが、かごめかごめの歌を広めるため。別記事で紹介したが、このかごめかごめという歌。徳川埋蔵金の在りかを指し示していると言われている。
その歌を全国に広めるため、服部半蔵は、全国行脚をしていたというのだ。しかし、なぜ徳川家の埋蔵金の在りかを示す歌を広めて回っていたのか。
もしかしたら、徳川家にまつわる何か意図があるのではないか。謎は深まるばかりである。
信じるか信じないかは、あなた次第。
関連記事
コメントを残す